Wall flower 感想~
wall flower
ネタバレ少しあります。注意!!
「壁際が定位置だった僕は、自由な君たちと出逢い、笑い、恋をして、痛みを知ったー。」
幼いころのトラウマで闇を持つ少年が、人とのつながりの中で自分の中の闇と向かいあい成長していく映画。ちょっと難しい話でした。思っていた話しとは違ったけど、終わってから徐々にこみあげてくるものがある・・。見終わった時の点数20点、今80点(笑)
映画をみているときに感じていた正直な感想は、仲間との出逢いや恋をしている主人公をみて、どこか不自然さというか・・本当に楽しそうにみえない・・馴染めている感じが全然しない・・など感じて、感情移入がしにくいってことでした。
でも、映画を見終わって改めて考えると、それが逆にリアルで、深いトラウマをもった少年が乗り越えていくのはそんなにたやすいことじゃないと思う。
そのすべてが最後のシーンに詰められていたと思う。
そう思ってから最後のシーンをもう一度見直したらすごく・・胸をうたれた。
また、映画を見終わったときは、主人公のトラウマの中身とか気になるのにあんまり詳しく触れられてなかったりして、なんかモヤモヤした気持ちになりましたが、今思うとそんな事はどうでもよくて、この少年(主人公)が闇に負けずに未来に向かって精一杯生きている!それがすべてじゃないかって思いました。
主人公が仲良くなる友人たちにも闇があって・・頑張っているのは主人公だけじゃないんですね。やっぱり人は一人では生きていけないんだと思いました。そして、わかってくれる人はどこかには必ずいるんだって・・。
はじめは壁際が定位置だった主人公、ほんの少しのきっかけで大きく変わる事ができました。主人公が言う、「人が僕に気づくなんて・・」ってセリフはすごく印象的でした。
最後のシーン・・めっちゃ好きになりました><!僕も色々悩み多いけど、明日も頑張ろう!!
《過去は変えられないけど、未来は変えられる》
《今僕はここにいて・・・》
《現在進行形だ。。》
あとこの映画は、なんといってもエマ・ワトソンが主演していること!
ハリーポッターのイメージが強すぎますが、また全然違う印象ですごく魅力的でした。
主人公も独特の雰囲気があってよかったです。
夜行観覧車 感想~
夜行観覧車 感想
観覧車からみる、ひばりヶ丘。上から見るとどの町も一緒だった
一人一人、自分の生きてきた道があり、それぞれの価値観をもっている
どれだけお金や名誉があって、自分とは違う人間だと思えても、完璧な人間なんていない
僕らは知らぬ間にそれぞれの形で他人に自分の存在を示しているのではないか?
そして彩花のいう「坂道病」
坂道病について、以下のように説明があった
「普通の感覚をもった人が、おかしなところで無理をして過ごしていると、足元が傾いているような気分になってくる。踏ん張り続けているうちに自分が傾いていることにも気づかなくなり、ふとしたことで転がり落ちてしまう」
みんなそうだな・・と僕は思った。
この作品に出てくる人達は、小高い山の上の高級住宅街ひばりヶ丘とわかりやすい設定だった。でも本当の坂道病の意味それは・・自分が生きていく上で自分を見失いかけてしまうことではないかと思う。気づかなくても、今はそうでなかったとしても、誰もがこの坂道病と隣り合わせなのではないかと思う。
このドラマの大きなテーマは、「家族」。どんな形があれ、ドラマのように地獄のような家庭環境でも、家族は家族。
人とのつながり そして、家族の存在 そしてそれは自分が生きるために。
明けぬ夜がないように回らぬ観覧車はない
ここでいう観覧車とは、自分の人生の事なのかな・・
「もう戻れない」
隣に誰がのっているかわからないが、僕達は その中でどんな状況であれ、今を生きている。
このドラマ、子役の子の演技がほんとにすごかった(><)
ソロモンの偽証 感想~
「みんな嘘をつく・・そしてあなたも・・」
☆☆ネタバレあります☆☆
~あらすじ~
中学校で生徒の死体がみつかる。
警察は自殺と判断。
この事件には犯人がいると告白状が届く。
この死をきっかけに学生による学校内裁判が開かれることになる。
~感想~
僕達は、人間社会で生きている。
そしてこの主人公である学生達は、その前に学生という社会に生きている。
社会で生きていく中で、理解される事、理解されない事っていうのもたくさんある。
特に学生という時期は、感性が豊な時期であり、心も身体も大人になる(社会で生きる)準備段階じゃないかなぁと思う。
この映画、まずなんのために学校内裁判が行われる事になったのか。
途中から趣旨がわからなくなった。
死んだ子のため?真実をしるため?
・・それは単純な事だと思う。結局みんな自分のためだろうと僕は思った。
とにかく生きるためにみんな前に進むしかなかったのだろう。
結果、真実が判明。
裁判の終盤にこの裁判のキーパーソンとなる子も「自分を裁いてほしい!!」とあれだけ言っておいて、終わってからは何事もなかったように振る舞う。
裁判終了後、私達は誰にも負けなかったよね!といい学生達は、笑顔で話す。
すべて偽善者のように僕にはみえた。自分の心の声(秘密)を外に吐き出し、周りに自分という存在を理解してもらうという裁判??
ただ僕は、
白か黒が全てではなく、本質が重要だといつも思っている。
事実=本質ではないと思うのだ
社会に適応するには、偽善も必要であるが
でも偽善の世の中でも理解者がいるかいないかが重要ではなんじゃないか・・
最後に校長が言っている言葉
「心の声にふたをすれば、自分がみたいものしかみえなくなるし、信じたいことしか信じなくなる そのことが一番怖い」と・・
心の声・・・それは自分の存在のようなものであり、偽善の世の中でも、それを理解してくれる人がいるかどうかが重要なのだと思う。自分を出しすぎても社会に適応できない。
結果が大事と考える人、結果までの過程が大事と考える人がいるように
自分がおかれている状況により考え方は人それぞれである
僕らは、これだけたくさんの価値観を持った人の中で生きている
死んでしまった少年も、偽証が許せないと話す。人間の汚らしさがみえたのだと思う。
この複雑な社会で生きる中で、この子の存在に寄り添う事ができなかったための事故だと思う。そして、それはキーパーソンとなった子が一人で抱えきれる問題ではない。
学生という大人への準備時期、子供達を尊重しサポートできる大人の行動も重要だろう。
そして僕も、このブログで自分の考えを書くことにより自分の存在をこっそりアピールしている一人である(笑)