映画で感性磨きたい!

映画の感想と、映画から自分を見つめなおし頭の整理をしています☆彡そのためかなり偏りがある感想になっていると思います(^^;でも、色々な人のブログをみて、感性を磨いていきたいとも思っています^^よろしくお願いします!

ソロモンの偽証 感想~

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「みんな嘘をつく・・そしてあなたも・・」

 

 

 

☆☆ネタバレあります☆☆

 

~あらすじ~

中学校で生徒の死体がみつかる。

警察は自殺と判断。

この事件には犯人がいると告白状が届く。

この死をきっかけに学生による学校内裁判が開かれることになる。



 

~感想~

僕達は、人間社会で生きている。

そしてこの主人公である学生達は、その前に学生という社会に生きている。

社会で生きていく中で、理解される事、理解されない事っていうのもたくさんある。

特に学生という時期は、感性が豊な時期であり、心も身体も大人になる(社会で生きる)準備段階じゃないかなぁと思う。



この映画、まずなんのために学校内裁判が行われる事になったのか。

途中から趣旨がわからなくなった。

死んだ子のため?真実をしるため?

・・それは単純な事だと思う。結局みんな自分のためだろうと僕は思った。

とにかく生きるためにみんな前に進むしかなかったのだろう。



結果、真実が判明。



裁判の終盤にこの裁判のキーパーソンとなる子も「自分を裁いてほしい!!」とあれだけ言っておいて、終わってからは何事もなかったように振る舞う。

裁判終了後、私達は誰にも負けなかったよね!といい学生達は、笑顔で話す。



すべて偽善者のように僕にはみえた。自分の心の声(秘密)を外に吐き出し、周りに自分という存在を理解してもらうという裁判??



ただ僕は、

白か黒が全てではなく、本質が重要だといつも思っている。

事実=本質ではないと思うのだ

社会に適応するには、偽善も必要であるが

でも偽善の世の中でも理解者がいるかいないかが重要ではなんじゃないか・・



最後に校長が言っている言葉

「心の声にふたをすれば、自分がみたいものしかみえなくなるし、信じたいことしか信じなくなる そのことが一番怖い」と・・



心の声・・・それは自分の存在のようなものであり、偽善の世の中でも、それを理解してくれる人がいるかどうかが重要なのだと思う。自分を出しすぎても社会に適応できない。



結果が大事と考える人、結果までの過程が大事と考える人がいるように

自分がおかれている状況により考え方は人それぞれである

僕らは、これだけたくさんの価値観を持った人の中で生きている

死んでしまった少年も、偽証が許せないと話す。人間の汚らしさがみえたのだと思う。

この複雑な社会で生きる中で、この子の存在に寄り添う事ができなかったための事故だと思う。そして、それはキーパーソンとなった子が一人で抱えきれる問題ではない。

学生という大人への準備時期、子供達を尊重しサポートできる大人の行動も重要だろう。

 

そして僕も、このブログで自分の考えを書くことにより自分の存在をこっそりアピールしている一人である(笑)