映画で感性磨きたい!

映画の感想と、映画から自分を見つめなおし頭の整理をしています☆彡そのためかなり偏りがある感想になっていると思います(^^;でも、色々な人のブログをみて、感性を磨いていきたいとも思っています^^よろしくお願いします!

映画ミュージアム感想 ネタバレあらすじあり注意

映画「ミュージアム」みました^^

 

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雨の日にのみ発生する猟奇殺人事件。レインコートを着た謎のカエル男。

僕はすごく楽しめました。

 

自分の考えをまじえて簡単なあらすじと感想を書いています^^

大事なネタバレあるので注意してください!!

※映画も一回みただけなので内容など間違っているところもあるかもしれません><

 

猟奇的殺人事件にてある男が死刑となった。

その後、その事件に関わった裁判員として関わった人達が次々に、「~の刑」と称し、次々と猟奇的な方法で殺害された。

実は、この男は、以前死刑となった猟奇的殺人事件の犯人でもあった。当初、警察はこの事件が冤罪であったことによるなんらかの復讐ではないかと考えていたが、実はその事件の主犯ではるカエル男は、社会に自分の作品が注目されなかったことに怒り、犯罪を繰り返していたのだ。社会は犯人の作品(殺害方法)よりも冤罪である犯人の判決等に注目が向いてしまったと感じたのだろう。

犯人は雨の日にのみ出現し、カエルのマスクをかぶっている。

そして、猟奇的な方法で人を殺め作品としてコレクションし、自身を表現者と呼んでいる。どのように殺害するかを考え、念入りに計画を立て、実行する。そして自分の作品を写真などで残し、ミュージアムのようにして喜んでいる。

しかし、ある男との出会いで犯人の心に大きな変化があらわれる。

それは、主人公で沢村(小栗旬さん)である。この男は殺害予定の女(裁判官の1人)の夫であり、刑事である。沢村には妻子がいるが、仕事に追われ、家庭をおろそかにしていた。妻は心身共に疲れ切ってしまい、子供を連れて家を出てしまう。子供のこと、裁判員裁判で死刑の判決をしたこと、流産したことなど、妻は一人でたくさんのことを抱えていた。

犯人は、沢村の妻を殺すため、家に監視カメラをつけたりして常に観察しており、その中であることに気づく。沢村の態度、そして心身共に疲れ切った妻をみて、人を殺める以外にも、人を殺す事ができるのではないかということ。心を殺す事ができるのではないかということ。

犯人は、沢村に興味が向く。積極的に沢村に接触するようになる。新たな刑を開始する。しかし、これはいままでの刑とは違う。すぐには殺さない。自分の中で新たな「何か」が芽生えたのだろう。

沢村も、自分の妻が狙われていることを知り、必死で犯人逮捕に挑む。犯人に振り回され、同僚も殺され、担当もはずされる。沢村は我を忘れ刑事としてではなく、孤独に犯人に挑むことになる。

そこで、ある医師と出会う。その医師は犯人の兄妹であることがのちに発覚する。

医師は、沢村に犯人の居場所を教える。そこが最後の決戦場となる。

しかし沢村は犯人につかまってしまい、刑を受けることになる。今回の刑はかなり精神的な苦痛を与える刑であった。沢村に家族は殺したのはおまえだ!!という。沢村は精神的にも肉体的にもボロボロにされる。しかし、勝負は沢村の勝ち。家族も救う事ができた。

雨の日に現れる犯人は、実は極度の日光過敏症を患っていた。犯人は逃げる際に、日光にふれてしまい崩れ落ちる。しかし、犯人は最後の力を振り絞り、この事件を機に世間が自分の作品に着目し、専門家などがまた自分の動機などを探すだろうと言い放ち、病院に運ばれる。

病院で人工呼吸器につながれた犯人を、医師である兄妹が親族として訪れ殺してしまう。あなたの病気は心因性よ・・病を治すには自分の悪意と向き合うか、それができなければ・・と告げて。

二人の兄妹は、幼いころに両親を猟奇的に殺害されている。二人は事件後、別々の場所に引き取られている。医師一家に引き取られた兄妹は、そのまま医師となり社会に適応している。だが、犯人は社会に適応できなかったのだろう。持病もあり、もともとの家に一人きりで住んでいたようだ。

兄妹も、医師として社会に適応はしているが、やはり兄妹、そして殺害された両親(家族)という切っても切れない事実(経験)があり苦しんでいたのだろう。犯人に告げた、セリフそして行動(殺害)は自分自身に向けた言葉でもあるのかと思った。沢村に、兄妹の居場所を教えた事からも兄妹のそのような心境を感じた。兄妹として犯人に向きあうことができていなかったのだろう。

そして、事件が終わる。ある記者が、沢村の妻に事件の事を聞きに行く。

裁判員で冤罪事件に関わったことについてどうおもうか」

・・・これで犯人はまたも心を殺されたのだと僕は思った。

逮捕時に犯人のセリフから、世間に着目されたいのが作品だけではなく、自分自身のことも知ってほしいと言っていたことからも、犯人は結局自分の存在を社会に知ってもらいたかったのだろうと思った。

ミュージアム、深いタイトルだと思った。ミュージアム、それは自分自身を現したものであり、それを何らかの形で表現しながら僕らは生きているのだと思う。人はなんらかの形で社会とつながりを持たなければならない。その方法が犯人にはこの方法しかなかったのだろう。

そして、ラスト。最悪だった。あれだけ家族に無関心だった沢村が息子の運動会に妻ときている。楽しそうにはしているが、なんとなくまだ違和感がある。これは沢村の行いの結果だと思うので仕方ない。

それよりも息子を撮影しているが、その息子が身体をしきりに掻いているのだ。この動作は、犯人と同じしぐさである。

犯人の意図(猟奇的な殺人を芸術として示したい残したい)は、社会には響かなかったが、違う形で、心の影響としてこの家族に残る。これは、犯人は沢村と出会って気づいた人間の心のむずかしさであると思う。これから、この家族はこの傷(事件)を背負って生きていくことになる。この事件に向き合っていくのか、それとも・・・しかし、彼らには家族があり、一人ではない。子供のころの環境は特に重要だと思うので、個人的に子供が非常に心配である。

社会で生きるとは、人と関わりあって生きていくことであると思う。たくさんの人がいる中で、親友・恋人・家族など、自分を理解してくれる存在がいるかいないかは、生きる上で大切なことだと思う。

この兄妹が環境によって生き方に差が出たのも遭遇した環境による違いであると思う。犯人も、沢村と出会い心の変化がみられたように、自分の居場所をみつけ自分を違った形で表現することができれば、また違った人生があったのかもしれない。

 

「自分の中にあるミュージアム

      これをどこでどのように表現するか?」

僕は自分の考えをこのブログで表現している。これもある意味、表現者かな^^;

 

この映画、役者の演技や、迫力、雰囲気もすごいよかったです。